一つのことだけしか興味をもてない事は本当に悪いことなのか?

先日のエントリー(読書:ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る)の中で取り上げたアンダーソンの言葉:「マーケティングの技術、インターネットの技術によって、本当に一つのことだけしか興味の持てない人間が生みだされているのではないかと思 います。」に関して

質問10より:「マーケティングの技術、インターネットの技術によって、本当に一つのことだけしか興味の持てない人間が生みだされているのではないかと思 います。」(P212)新聞などのメディアには、今現在興味のない情報なども載っていて、読者に新たな興味を生み出す可能生がある。しかし、現在のパーソ ナライズされた環境では、その可能性が低くなる。

本を読んでいる最中は、 もしインターネットなどが、一つのことだけしか興味を持たない人を作り出すとしたら、それはよくないことだなーと思い込んでしまった。が、本当にそれは悪いことなのだろうかと、数時間後から思い始めた。興味を絞るという事は、スペシャリストになると同義語だと思う。僕はここ数年スペシャリストになるべく頑張ってきた。興味を絞ろうと努力してきた。なぜ?興味、ターゲットを絞らないと何も得意なものがない人になってしまう気がしているからだ。その様に感じ、興味を絞り、スペシャリストになるべく努力している人は沢山いると思う。ちょっと話はずれるが、世の中の全ての事象は何かとつながっていると思う。他の何者にも依存せず存在するものはないのではないか。この点から、一つの事に興味をもち、それを極めていけば、絶対それとつながっているものに出会う。他を理解しない事には、その興味は極められない。一つのものにしか興味を持たなかったとしても、最終的には他のものにも興味を持つことになるのではないか?もし、インターネット、パーソナライズ機能が、一つまたは少数のものにしか興味を持たない人を作り出したとしても、それは必ずしも悪いことではないとおもう。

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