「パラダイス鎖国」を読んで-その2-自分について

パラダイス鎖国 忘れられた大国・日本を読み終えた。このエントリーは本を読んでいる間に考えた自分の事。前のエントリー「パラダイス鎖国」を読んで-その1-メモとはぜんぜん違う内容です。

本を読んでいる間に、僕も昔はパラダイス鎖国状態であった事を思い出した。全く海外に興味がなかった。では、どうして自分はパラダイス鎖国状態ではなくなったのか?

開国前(鎖国状態):高校生の時までは東京が僕の憧れの土地であった。海外を含め別の地域などには興味がもてなかった。大学生時代、その日その日を生きるのに精一杯だった。海外の事など考えようともしなかった。社会人最初の1、2年、海外の事を考えるような状況になかった。英語が出来なかったので、その影響もあると思う。海外旅行に行こうとも考えた事がなかった。

開国前後:社会人2、3年目の頃、バックパックを担いで日本からヨーロッパまで一年かけて旅した写真家の本を読んだ。その人の困難を乗り越えながら新しいものに出会う、彼のライフスタイルに憧れた。自分の知らない土地に憧れ始めた。自分の知らない人に出会ってみたくなった。友人二人が海外旅行を経験した。それを聞き、僕も人生で一度くらい海外旅行をしなければと思った。バックパッカーの聖地、タイ・バンコクのカオサンの安宿街に泊まってみたかったが、初めての旅行でそんな勇気もなかったが、バックパックを担いで1ッ週間弱だと思うがタイを旅した。パスポートを確認したらそれは、1995年9月24日だった。その頃はバック・パッカーに強い憧れを持っていた。テレビでは猿岩石がヒッチハイクの旅をして人気を集めていたと思う。

開国後:初めての海外旅行を経験すると、勢いがつき、ヨーロッパなどをバックパックを担いで旅して回った。バックパッカーと言っても、Max2週間の旅である。会社で休める範囲で行動していたので、連続2週間がMAXだった。パリで出会って一日だけ一緒に行動したマイアミに住んでいたアメリカ人の家とかにも泊まりに行った。この頃、英語の勉強も始めた。TOEICのスコアだけ見ると勉強の効果はなかった。仕事では、外資ソフトウエア会社に転職した。そこには最先端の技術が詰まっていると想像したから。そこで若干海外のエンジニアとのコミュニケーションが始まる。アメリカのソフトウエア会社に付いて書かれた本、ソフトウエア開発にまつわる話などを読み、影響を受け、アメリカでのソフトウエア・エンジニアのポジションに興味を持つ。そして、アメリカへ移住。

振り返ってみると、若い時の僕は意識的に鎖国していたわけではないが、結果として鎖国状態になっていた。理由として、その時期には自分が興味を持てる海外の情報が僕の所になかった。要するに、海外に付いて知らなすぎた。開国日は、初めての海外旅行だとおもうが、その行動を取った理由は、自分だって一度くらい海外旅行を経験しないととか、バックパッカーに憧れたとかそんなものだった。その後は、自分の興味に任せて拡大しつづけたのである。アメリカに移住したのは、アメリカに憧れたのではなくて、アメリカのソフトウエア・エンジニアというポジションに夢を持てたのが理由である。

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