初ハーフ・マラソン@サンフランシスコ

今年の年初にサンフランシスコでフルマラソンを完走するとという目標をたてて7ヶ月、途中、フルマラソンからハーフマラソンに、目標を切り替えたりしたのですが、今日がそのマラソンの日でした。(The San Francisco Marathon) 今日は、朝4時に起きで、スタート地点に車で向かいました。5月にBay To Breakers (12km)を走っていたので、何となくマラソン大会の雰囲気とか段取りとか分かっていたので、スタートまでは結構スムーズでした。コース地図 (1st Half Marathon Course Map [PDF]) 6時ちょっと過ぎにフェリービルディングの前をスタートし、少し走ると、左手にコイトタワー。もう1マイルほど走ると、右手にフィシャーマンズワーフ、霧がかっているが、遠くにゴールデンゲートブリッジが、かすかに見える。コツコツ走っているとそのゴールデンゲートブリッジに到着、夏場の朝なので、霧がでていてあまり前が良く見えないが、橋を往復。その後、足が痛くなりペースダウン、しかし、その後、きつい登り坂が待ち受けていた。その後は、足が痛いがなんとか走り続けてゴールデンゲートパークでゴール。ゴールした瞬間は、完走したことによる解放感を感じ、完走者メダルを掛けてもらった瞬間は結構うれしかった。その後、自分はハーフマラソン参加なので、バスで、フルマラソンのゴールに向かう。フルマラソンのゴール地点では、僕が貰ったメダルの5倍位大きいメダルを首に掛けている人がいる。そのメダルは、フルマラソン完走者用のメダルでした。それを見た瞬間、悔しさが込み上げ、来年こそはフルマラソンを完走するぞと心の中で誓いました。その後はフルマラソン参加の友人達と落ち合い。記念撮影をして帰って来ました。何とか、完走という目標を達成できてよかったです。サポートして頂いたり、励まして下さった皆様どうもありがとうございました。

ちなみにタイムは、2:14:01 (13.1 miles)でした。ペースは、10:14 (1mile)です。まあまあかな?

New Year Resolution 2009

毎年、新年の抱負(New-Year Resolution)を決めても、なかなか行動が伴わないのであるが、今年変えたい、生活習慣や、達成したい物事を考える事によって行動を起こせる場合もあるので、2009年の抱負に付いて考え書き出しました。

1)健康・食習慣

  • ソーダ(コーラなど)を会社で飲まない。ソーダ類は糖分が高いので。
  • 6階のオフィースに向かうのに階段を使用する。一日最低2回。
  • ジムに週1回は行く。

2)ライフ・ハック

  • 大きなゴールを達成する為に、小さな達成しやすいマイルストーンを設定するよう習慣化する。小さいマイルストーンの達成の積み重ねによって、より大きいゴールを達成する方が達成度が上がるので。

3)学習

  • 最低6冊の技術書及び6冊のビジネス書を丁寧に読む。
  • Information Retrieval (情報検索)に関して理解を深める
  • Machine Learning (機械学習)に関して理解を深める
  • Perlプログラミングスキルを向上させる
  • Pythonプログラミングスキルを向上させる

4)サイド・プロジェクト

  • 2個目の個人ウエブ・サービスを開発する。(予定:レシピ・献立検索エンジン)

食べログ:特選都路里パフェ

今日は昔の仲間と一杯(本当は3,4杯)飲んだ後、友人お勧めのお店にお茶をしに行く事となった。行ったお店は、茶寮都路里、汐留店。京都のチョー有名お茶屋さんらしい。女性客が大半である中、30代後半の野郎3人で、特選都路里パフェを食べた。これも友人のお勧め。一言で言うと、豪華抹茶パフェ。中に栗とか入っていて中々おいしい。カメラは持っていなかったので、写真が取れず残念。代わりに、Flickrで見つけたパフェの写真と、お店の紹介用イメージへのリンクを下記に張りました。

Yahoo!イメージ検索で都路里パフェを探す。

質問:さてお値段はいくらでしょう?
正解:1400円。
今まで食べたパフェの中で一番高かった。

Django 1.0 released after 3 years

Django 1.0 released!

今日、最近利用しているDjango Web Frameworkのバージョン1.0のリリースのお知らせがあった。その中で、「プロジェクトを提供し始めてから、バージョン1.0のリリースにたどり着くまでに、3年の歳月がたった」の一文があった。やはり、何かを成し遂げる為には、ある程度の期間1つの事にコミットする必要がある。それって中々出来ない。それを成し遂げたDjangoプロジェトのメンバー、コミュニティーはすばらしい。

最近、ブックマーク・サービス開発(サイド)プロジェクトの他に、また別の(サイド・サイド)プロジェクトを始めてしまっていた。これではイケナイ、ブックマーク・サービスを何とか形にしなければと考えていたところに、このDjango1.0リリース文を読んだ。これは1つの事に集中しなさいという事だな。今日から気持ちを新たにがんばります。

肉の日と同じコンセプトね

前置き:何時も利用させていただいている日本食材屋さんでは毎月29日が肉(ニク)の日である。要するに肉の特売日。29日が肉の日であるのは知っているのだが、29日にそのスーパーには多分行った事はないと思う。前置きおしまい。

本題:僕のブックマーク・サービス・プロジェクトは、24時間では完成しなかったので、最近もコツコツ、毎日1、2時間程取り組んでいる。基本的な部分は出来ているので、今日、妻にちょっと使ってみてと頼んだ。そして快諾してもらった。まずはドメイン名の説明。ドメイン名は、you29.com、YOU+2+9で”ユニーク”って発音するんだよ”と説明をした。その説明への返事が、”肉の日と同じコンセプトね”だって。さらに追い討ちをかけるように”君の肉ってことか”だって。YOU=>君、29=>肉。語呂合わせでも何でも覚えやすければいいや。

ブックマーク管理ツール:you29.com

ハッカー(Hacker)適正ないかも

ハッカーになろう (How To Become A Hacker) by Eric Steven Raymondを、今日まで読んだ事がないことじたいに、自分にはハッカー適正がないのかも知れないが。

昔は、将来のキャリア・パスとして、エンジニアリング・マネジャーになりたいとか、ソフトウエア・アーキテクトになりたいとか、思い描いていたのだが、ポール・グラハムの本とかエッセーを読み始めた頃から、「ハッカーです」って名乗れたら、良いなんて思い出した。かなり子供っぽい願望ですが。(注)コンピューターを使って悪い事(情報を盗んだり、書き換えたりする)をする人達は正式にはクラッカーと呼ばれ、ハッカーとは区別されます。

本題に戻ります。昨日、上記のHow To Become A Hackerを読んだ。そのエッセイの内容は、「どうしたらハッカーなれるのか」

まずは心構え

III. ハッカー的心構え

  1. この世界は解決を待っている魅力的な問題でいっぱいだ
  2. 同じ問題を二度解くような無駄はいやだ
  3. 退屈と単純作業は悪
  4. 自由は善
  5. 心構えは技能の代用にはならない

心構えの部分に関しては、そんなに問題ないかな。

次に腕(技術)

IV. 基本的なハッキング技術

  1. プログラミングを身につけること。
  2. オープンソース UNIX 類のひとつを入手し、使いかたと動かしかたをおぼえること。
  3. World Wide Web を使う方法を学び、HTML を書きなさい。
  4. まともに英語ができないならば、身につけなさい。

Ericは、プログラミング言語に関して、Python,Java,C/C++,Perl,Lispの5つの言語を身に付ける事を進めているので、この辺りは努力が必要。真のハッカーを名乗るにはやっぱりLisp読めたり・書けないとダメかな?ポール・グラハムもYahoo!Shoppingの前進である、ViaWebをLispで作ったし。英語に関しても、昔よりはましだが、努力が必要。技術に関してもなんとかなりそう。

V. ハッカー文化での地位

  1. オープンソース・ソフトウェアを書く
  2. フリーソフトウェアのテストやデバッグを手伝う
  3. 有益な情報を公開する
  4. インフラが機能し続けるように手伝う
  5. ハッカー文化そのものへの貢献

オープンソースは使うけど、全く貢献できてない。ギブ・アンド・テイクじゃなくて、自分はテイクばっかりだ。何とかしないと。

根本的に僕はハッカー向きじゃないなっと思えたのが次の項目

VII. ハッカースタイルの要点(多くのハッカーは以下のようなことをやっていますし、それがハッキングの真髄に本質的に通じるものがあると感じています。)

  • SF を読むこと。SF 大会に参加すること(ハッカーやハッカーの卵たちに出会ういい方法です)。
  • 禅や武道を学ぶこと(その精神面は深いところでハッカー精神と共通しています。)
  • 音楽を分析的に聞く耳を鍛えること。一風変わった音楽がわかるようになること。なにか楽器を上手に演奏したり、歌が歌えるようになること。
  • だじゃれや言葉あそびへの理解を深めること。
  • 母語できちんと文が書けるようになること(わたしが知っている最高の連中を含め、ハッカーの驚くほど多くは物書きとしても有能です)

まず、SFは殆ど読んだ事がない、正直に言うとあまり興味を持っていない。シリコン・バレーにいるハッカー、ギークのようにStar Warsにそれほど思い入れもないし。禅とか武道もあまり興味をもてない。ソフトウエア関連の人には楽器が出来る人が多いのだが、僕は昔から音痴でリズム感がなく、音楽はダメダメ。この部分に関してはコンプレックスあり。最後に僕には文才がまったくない。この項目を読んだら、僕にはハッカーとしての基本的な資質が全く無いような気がしてきた。

ハッカーとしての資質はなくても、今後もがんばってHackerを目指して行きたい。

PASCAL & FORTRAN

7月4日はアメリカの独立記念日で、会社の元ディレクターの家にBBQに行った。コンピューター関連の人が多く、よく大学の話になる。若者と自分の会話:

若者: メジャーはコンピューター・サイエンスですか?
自分: いいえ。機械工学です。
若者: 大学時代にコンピューターに関連することをなにか学んだのですか?
自分: パスカル(PASCAL)とフォートラン(FORTRAN)を少し。
若者: 何ですかそれ?
自分: パスカルとフォートランに付いて説明を始める。

えーーーー、知らないんだ。PASCALとFORTRAN。。。。。。
多分、7、8歳の年の差があると思うのだが、今時の人はPASCALとかFORTRANとか知らないんだ。時代の流れの速さを感じた。

10年が経った

今日、2008年7月5日(土曜日)は、僕がアメリカに移住してきてから、ちょうど10年です。何日か前から10年の区切りの日は結構感傷的になったりするのかなとか思っていたが、世の中も普通の土曜日だったが、僕の心も普通の土曜日だった。去年の9年の区切りの日の方が、感傷的だった。(去年のブログ:7月5日:僕の記念日)という訳で、過去を振り返りたいような気分では別にないのであるが、一応振り返ってみる。

1998年7月5日(10年前の今日)ー1999年9月 ロサンゼルス近郊のトーランスという町で、アメリカ生活を始めた。英語も本当にダメダメだったし、エンジニアとしても大した事なかったのだが、気持ちだけでがんばれた。働いていた会社では、日本人も多く、色々助けて頂いた。感謝感謝。同年代の友人にはビリヤードに頻繁に連れて行ってもらい、日本では殆どビリヤードをした事なかったが、この間に上達した。前にも書いたが、お気に入りのマンハッタンビーチによく行っていた。

1999年9月ー2001年1月 ニューハンプシャー州(東海岸)に移住。正直に言うとボストン(マサチュウセッツ州)まで車で一時間程のところであるが、アクティビティーが少なくちょっとつらかった。会社の人はみんな家族持ちだし、独身の日本人にはちょっとつらいかな。東海岸の人のしゃべり方は比較的早口だし(特に女性)。毎週末、ボストンまで車で出かけて行った。

2001年1月ー2002年12月 ボストンのダウンタウンにスタートアップの仕事が見つかり、ボストンの隣町ケンブリッジに引っ越した。ハーバード大学から歩いてすぐのところ。IPOで大金持ちとか夢に見ていた。正直に言うと、現実なんて全く見ていなかった。この期間に結婚。会社にはアイルランド出身の若者が多く、みんなでよくアイリッシュパブに飲みに行ったのが楽しい思い出。そして、9・11。その数週間後、日本から妻がやって来た。よくみんなが飛行機に乗りたがらない時に来たものだ。9.11の後から働いていた会社が傾きだした。何度かのレイオフをしのいだが、5回目くらいで僕の番が来た。経済の調子もあまりよくなく、就職難の時だった。ジョブ・インタビューの機会も頻繁にあるわけではないので、よくハーバード大学の図書館で勉強していた。あと数ヶ月見つからなかった日本に帰ろうと思っていたところ、ラッキーな事に仕事が見つかった。

2002年1月ー2007年9月 この間は仕事に関してはコツコツがんばった。コツコツやっただけの成果は残せたと思う。日常の仕事とは別に、個人としてソフトウエア・コンサルタントの仕事も始めた。日常の仕事では経験できない事を経験でき、幅が少し広がったように思う。この間に子供が生まれた。そしてアーリントンに家を買った。プライベートライフも充実していた。しかし、2007年の夏、このままでいいのかな?変化が必要かな?と考え始めた。これまた運良く、憧れの地シリコンバレーに仕事を得る事ができた。2007年10月家族で西海岸へ移住。

2007年10月ー2008年7月5日(今日)ここシリコンバレーでコツコツまたがんばっている。

最後に、10年の間、色々な人に支えてもらってきたなーと思う。どうもありがとうございます。

この前理由があってGoogleDocで自分のプレゼンテーション資料を作る機会があったのでここに張っておきます。スライドさせる為には左下の>>ボタンを押して下さい。

今度こそ朝型

今度こそ朝型になるため、早起き日記再開。去年は効果がなかったが、今年こそ!

Hidekiの早起き日記

Life is beautifulの中島さんは4時半起きだそうだ。

ここの所、朝の4時半ぐらいから起きて朝ご飯前に2〜3時間集中してプログラミングをするのが日課のようになっているが、これを続けていると、昼過ぎぐらいから妙に眠くなって頭の回転が鈍くなる。それを解消するには、パワー・ナップが最高
Life is beautiful

おもてなし - 茶道

おもてなしの経営学を読んでから、「おもてなし」って何ってちょくちょく考えている。偶々、娘の学校で「親子茶道教室」が開催されていたので、茶道を学びに参加してきた。そこから、「おもてなし」に付いて少しは分かるかもしれないという、ちょっと甘い考えから。先生にお茶をたてて頂いたり、お菓子を食べたり、器の話をしたり、お花の話をしたり、懐石に付いて学んだり、お辞儀の仕方を学んだり、お茶を体感して来た。初対面の他の客(生徒)と亭主(先生)、かつ茶道に関して無知な自分であったのであるが、中々心地良い時間をすごせた。一回くらい参加しただけでは当然、おもてなしとは何ぞやなど分かるはずもなく、茶会の後に、先生に「おもてなし」とは何ですかと、直接聞いてしまった。先生は、「おもてなしとは、客に心地よくなって頂く事、それは、各客に合わせてもてなす事である。それは一期一会の精神から来ている」とおっしゃっていた。お茶会の後、それを無理やり、ソフトウエア開発に枠組みの中で考えてみた。。「Personalization」がおもてなしを提供する上で、重要な要素となってくるように思えた。

追記:お茶会の前に、参加者の一人と話をした。彼は、smalltalkでソフトウエアの開発をしているエンジニアであった。smalltalkを実際に仕事で使っている人に今まで出会った事がなかったのでちょっと興味が沸いて、少し話した。彼は、Extreme Programmingに影響を受けていて、その創設者のKent Beckが「わび・さび」に影響を受けていた事を知って、息子と一緒にお茶教室にやって来たそうである。日本の文化がソフトウエア開発手法に影響を及ぼしていた事に驚き、ちょとうれしい気持ちになった。